裏SENTENラボ
ゲーム、マンガ、および、ニュース関のtwitterで流した情報をまとめて記事にしています。twitterが面倒な方は、こちらからどうぞ。 桜戯 @sakuragi_007
日常に待つ恐怖
最近、昔一度見かけて怖かったとある怪談話と同じ系列の怪談話を発見した。
細部に違いがあるものの大筋に違いはない。
大まかに説明すると。
とある兄弟が田舎に遊びに行って外で一緒に遊ぶ
↓
ふと偶然に田んぼに白い『くねくね』動くものを発見する。
人のようにも見えるが明らかに人ではありえない曲がり方をする。
↓
最終的に兄のほうが『くねくね』の正体に気付く。
そのせいで兄は知的障害者となる。
というものだ。
で、今回と昔のものでどういう違いがあるのかといえば。
昔見かけたもの
兄はしばらくしてから『くねくね』の正体に気付く。
それを知った弟が兄に尋ねようとするがそのときにはすでに兄は狂っていた。
最近見たもの
兄は双眼鏡で『くねくね』を確認する。
すると兄は真っ青になり立ち去ってしまう。
弟はその姿に恐怖するもおそるおそる双眼鏡で『くねくね』を見ようとする。
それを血相を変えた村人に止められ弟は助かる。
となる。
ここでポイントなのが
村人が静止した=『村人が『くねくね』がなんなのか知っている』
ということだ。
もっともここでの『知っている』は『くねくね』の正確な正体を知れば狂ってしまうわけだから、『あれは危険なもので見てはいけないもの』程度の理解だろう。
村人がこのことを知っている、ということは少なくとも過去に何人かの犠牲者がいたというわけだ。
つまり 『『くねくね』という危険な存在がずっと昔から、しかも自分たちの日常の中に存在する』 ということになる。
でここから本題といえば本題なのだが、この話を今になって見かけてふと思い出した作品があった。
それが中山昌亮の「不安の種」という作品だ。
現在週間少年チャンピオンにて連載中の「不安の種+」のみ読んだことがあるのだがこれが『くねくね』とよく似た雰囲気を持っている。
どちらも 『不気味な何かが日常の中に存在している』 のだ。
ついでに言えばその何かは、正体不明、でさらに人型であることが多いのがまた怖い。
「不安の種」の舞台はほとんどが普通の日常だ。
家の中であったり、風呂場であったり、夜道であったり、歩道橋の下であったり。
そういう誰もが存在し、誰もが通り、誰もが利用する場所。
それは慣れ親しんだ、平穏で安心できる安然とした場所、心のよりどころだ(夜道は違うけど)
だからこそ、読者にとって作品の登場人物と共感を持ちやすく、恐怖はリアルで生々しい色彩と実感を持つ。
さらに怖いのが既述だが現れる存在が、正体不明、人型、ということだ。
特に人型というところが私は怖いと思う。
それが動物なり、昆虫なり、無機物ならまだ怖いが怖いだけとも言える。
共感してもらえるか分からないが、ある種の『同属嫌悪』というのだろうか。
いやな生々しさを感じるのだ。
形が似ているためにいやおうなく『近しさ』を感じるのかもしれない。
人の形に似ているだけに強烈な拒否反応を抱くのだ。
動物なり、昆虫なり、無機物も人ではないことは明らかだ、一目で分かる。
しかし、人の形をしていたのならどこでそれを拒絶すればいいのだろう。
『人じゃない怪物』だけでは力不足だ、相手は顔が狂ってようが体は明らかに人の形なのだから。
さっきの『くねくね』に戻るが、あれが怖いのも『人の形をしている』という前提があるからだと思う。
あれが人の形ではなく、別のものならこれほど怖くは感じなかったのではないだろうか。
これを書いてて気付いたのだが、この『人型の何かに対する恐怖』というのは不気味の谷現象に近い、もしくはそれそのものではないかと気付いた。
実際、不安の種に出てくる何かは人型はしているがどこか人間と違うところがある。
顔が歪められていたり、口が大きかったり、動きがおかしかったり、普通の人間じゃありえない行動をしたり。
最近の不安の種にあった話でフェンス越しに女性がフェンスに張り付いた人間らしきものと遭遇する話があった。
あれは確かに人間らしくないが、気が狂った不審者、と言えなくもない感じだった。
結末は扉を通り抜けた人間らしきものが女性を追いかけてくる、という落ちだったがそれが妙に人間らしいリアルさだ。
幽霊のようにフェンスをすり抜けるでもなく、虫のように飛び越えるわけでもない。
姿行動が奇妙なだけで、あくまで『普通の人間のできる領域』の中にいるのだ。
普通の、現実の中にいる。
それは平穏と安心の中にいることだ。
だが同時に少し歪めるだけであっけなく崩れ去り、真逆の世界を姿を現す。
ほら・・・あなたの後ろにも。
こんなちょっとした妄想一つで姿を変えるほどに。
細部に違いがあるものの大筋に違いはない。
大まかに説明すると。
とある兄弟が田舎に遊びに行って外で一緒に遊ぶ
↓
ふと偶然に田んぼに白い『くねくね』動くものを発見する。
人のようにも見えるが明らかに人ではありえない曲がり方をする。
↓
最終的に兄のほうが『くねくね』の正体に気付く。
そのせいで兄は知的障害者となる。
というものだ。
で、今回と昔のものでどういう違いがあるのかといえば。
昔見かけたもの
兄はしばらくしてから『くねくね』の正体に気付く。
それを知った弟が兄に尋ねようとするがそのときにはすでに兄は狂っていた。
最近見たもの
兄は双眼鏡で『くねくね』を確認する。
すると兄は真っ青になり立ち去ってしまう。
弟はその姿に恐怖するもおそるおそる双眼鏡で『くねくね』を見ようとする。
それを血相を変えた村人に止められ弟は助かる。
となる。
ここでポイントなのが
村人が静止した=『村人が『くねくね』がなんなのか知っている』
ということだ。
もっともここでの『知っている』は『くねくね』の正確な正体を知れば狂ってしまうわけだから、『あれは危険なもので見てはいけないもの』程度の理解だろう。
村人がこのことを知っている、ということは少なくとも過去に何人かの犠牲者がいたというわけだ。
つまり 『『くねくね』という危険な存在がずっと昔から、しかも自分たちの日常の中に存在する』 ということになる。
でここから本題といえば本題なのだが、この話を今になって見かけてふと思い出した作品があった。
それが中山昌亮の「不安の種」という作品だ。
現在週間少年チャンピオンにて連載中の「不安の種+」のみ読んだことがあるのだがこれが『くねくね』とよく似た雰囲気を持っている。
どちらも 『不気味な何かが日常の中に存在している』 のだ。
ついでに言えばその何かは、正体不明、でさらに人型であることが多いのがまた怖い。
「不安の種」の舞台はほとんどが普通の日常だ。
家の中であったり、風呂場であったり、夜道であったり、歩道橋の下であったり。
そういう誰もが存在し、誰もが通り、誰もが利用する場所。
それは慣れ親しんだ、平穏で安心できる安然とした場所、心のよりどころだ(夜道は違うけど)
だからこそ、読者にとって作品の登場人物と共感を持ちやすく、恐怖はリアルで生々しい色彩と実感を持つ。
さらに怖いのが既述だが現れる存在が、正体不明、人型、ということだ。
特に人型というところが私は怖いと思う。
それが動物なり、昆虫なり、無機物ならまだ怖いが怖いだけとも言える。
共感してもらえるか分からないが、ある種の『同属嫌悪』というのだろうか。
いやな生々しさを感じるのだ。
形が似ているためにいやおうなく『近しさ』を感じるのかもしれない。
人の形に似ているだけに強烈な拒否反応を抱くのだ。
動物なり、昆虫なり、無機物も人ではないことは明らかだ、一目で分かる。
しかし、人の形をしていたのならどこでそれを拒絶すればいいのだろう。
『人じゃない怪物』だけでは力不足だ、相手は顔が狂ってようが体は明らかに人の形なのだから。
さっきの『くねくね』に戻るが、あれが怖いのも『人の形をしている』という前提があるからだと思う。
あれが人の形ではなく、別のものならこれほど怖くは感じなかったのではないだろうか。
これを書いてて気付いたのだが、この『人型の何かに対する恐怖』というのは不気味の谷現象に近い、もしくはそれそのものではないかと気付いた。
実際、不安の種に出てくる何かは人型はしているがどこか人間と違うところがある。
顔が歪められていたり、口が大きかったり、動きがおかしかったり、普通の人間じゃありえない行動をしたり。
最近の不安の種にあった話でフェンス越しに女性がフェンスに張り付いた人間らしきものと遭遇する話があった。
あれは確かに人間らしくないが、気が狂った不審者、と言えなくもない感じだった。
結末は扉を通り抜けた人間らしきものが女性を追いかけてくる、という落ちだったがそれが妙に人間らしいリアルさだ。
幽霊のようにフェンスをすり抜けるでもなく、虫のように飛び越えるわけでもない。
姿行動が奇妙なだけで、あくまで『普通の人間のできる領域』の中にいるのだ。
普通の、現実の中にいる。
それは平穏と安心の中にいることだ。
だが同時に少し歪めるだけであっけなく崩れ去り、真逆の世界を姿を現す。
ほら・・・あなたの後ろにも。
こんなちょっとした妄想一つで姿を変えるほどに。
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