裏SENTENラボ
ゲーム、マンガ、および、ニュース関のtwitterで流した情報をまとめて記事にしています。twitterが面倒な方は、こちらからどうぞ。 桜戯 @sakuragi_007
見えざる壁を体感し、快感する瞬間
私の物語を書く歴史というのは、さかのぼると小学生高学年の頃に戻る。
同じ経験した人は多いと思うんだけど、その頃私は二つの物を自作していた。
一つは自作のゲームで、もう一つはマンガだ。
前者はノートに設定やら、モンスターやらを考えた、いわば「ノート上のRPGゲーム」みたいなもの。友達に遊んでもらっていたのに、最終的にHPの書き換えがめんどくさくなってうやむやのうちに終了させたという、ひどい最後だったことを今でも覚えいている。
後者は当時発売されたばかり(だったと思う、少なくともそのくらいに発売されてはいた)初代ポケモンを題材にしたマンガだ。題材にしたといってもキャラがポケモンで、内容はドラクエという、なんとも錯綜したものだった。ただ、それでも友達に読んでもらったし、それなりに画力も上昇したと自覚できるくらいには描けるようになっていた。けれど、これもまた上のゲームと同じく途中でストーリーが納得できなくなり、打ち切りマンガ並みの無理やりな最後で終了させた。
(余談だが、この頃からピカチュウ好きでマンガの主人公はピカチュウの兄弟だった。ライバル的な敵がライチュウとカイリキーで、ミューツーもしっかり終盤に登場していた記憶がある。初代ポケモンだと、ピカチュウはライチュウに進化させ、10万ボルトとメガトンパンチが十八番だったっけなあ)
それから人間の絵を描くようになったが、基礎もできていない人間がまともな絵が描けるはずがない。いや、今見てみたら「それなりに上手くネ?」と思ったり、「この頃から中二病じみた模様とか、カオスな絵が好きだったんだな(今も変わってないけど)」と懐かしんだりできるレベルだったんだけど。
で、「人間を描くのは無理だな」と早々と諦めた昔の私は小説描きに切り替えることになる。本格的に描き始めたのが中学に入ってから。授業中に現実逃避の如く書き続けた。それでも塾で授業を受けていたのでそれなりの成績を残せていて(学校のテストを想定したものだから当たり前である。故に実力は大してない)受験したりした。
高校も、まあ、一応それなり(らしい)私立に入学し、しかしやっていることは変わりなかった。ひたすら小説を書いて書いて書いて書き続けていた。中学の頃はネットはないし、金は当時放映していたカードキャプターさくらの単行本に費やしまったくない(そもそも小遣いがないので昼食代を使っていた)ので、教材など買えるはずもない。高校になっても小遣いはないし、ネット初心者だったから調べる知恵もない。
だから書いた。
書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて。
好きなタイプのキャラを出すものの、ストーリーがなってないから、数ページ書けば頓挫する。それを何十回を続けながら、それでも書き続けた。
さすがにそれだけ書けば、一応それらしい話を長く書けるようにはなった。しかし、本当の「実感」を感じたのはまだ先のことだった。
壁を越えることができたのは高校二年か、三年の冬、いまさらながら自分が「大学受験する必要がある」と初めてしった時期の頃だ。
その壁の内容はなんと形容すればいいだろうか。超える、というより、「自覚する」というべきだろう。一種の解放感があった。
「世界観の根底が完成した」のだ。今まで書き続けていたストーリーに明確な「筋」「世界観」「『こう先続きを書こう』というストーリーの流れ」が見えた瞬間だった。ただ、その「見えた世界」は非常に狭く、数ページ分のものだ。そんなに短ければ当然、その話も没になってしまった。けれど、今思うと、ある種書き続けている小説の世界観の根底にあるような気もしないでもない。
さらに大学時代、強烈な影響を与えたのが平野耕太氏の「ヘルシング」だ。
エロ、グロ、殺戮、殺害、破壊、粉砕、凶暴、獰猛、殲滅、終結、中二病。
話の全てを論理構造で形成しようとしていた自分には、その全てを破壊し、洗い流す内容だった。「物語でそこまで設定を現実と同じにし、凝り固まる必要ないじゃない」てね。
それからまた時間が経ち、最近では「無茶な設定も自分で理屈付ければいいじゃない」と納得するようになった。
例えば、吸血鬼が血を操る能力は「吸血鬼の能力で、魔法」なのだが、それだけでは無敵になってしまう。パラーバランスが崩壊し、ドラゴンボール的なインフレの始まりだ。だから「昼は魔法が使えない」という制約を設定した。
そこに、エロ、ギャグ、好きな作品の要素を詰め込み、今書いている作品を完成させようとしている。他人から「お前バカだろ」と言われてもしかたないと自覚するくらい、話の設定が進んでもいる。
私の超えた「壁」がはたして小説家として書いていくに必要なものかわからない。
書いてきた分量が小説家になるのに足りるのかも分からない。
だいたい、今まで書いてきた内容全部、自分の趣味の延長上で、趣味を詰め込んだものだからね。人に読んでもらおうと意識するようになったけれど、じゃあ「どう描けば面白いのよ?」と今度はなるわけだ。ほんと数人だが読んでもらったことがあるが「面白い」という評価しかもらえなかったのが、なんとも・・・。逆に不安になる。今完成した分だけでも、サークルの人に読んでもらうかねえ。
ま、だからこそ、これが今の私が持つ「壁」なんだろう。
きっとこの「壁」を超え再び快感を得るときは、私が自分の作品を単行本化して売り出すときじゃないかな~。
などと悩みつつも(さらに就職もあるんだけど)けれど、私はこれからも書き続けるだろう。
それが私の生き方だ。
最後に今私の小説で教材にしている作品をあげておこう、別にあげる必要もないだろうけれど、まあ、これを機に同士ができれば嬉しいなと。
「スクラップドプリンセス」
論理的思考派、という謎の位置づけ。榊氏の作品はこれとまじしゃんず・あかでみぃを読んだが、すてプリのほうが圧倒的に好き。シリアスとギャグの極端さが好きだったからなあ。
「勇者王ガオガイガー」
勇者王!勇者王!
ドリル、ハンマー、ナイフ、叫び、コネクト、無骨なフォルム、あげだすときりがない燃え要素の山。ヘルアンドヘブンは作中にそれっぽいの使いたいけど、さすがにそれはまずそうだよなあ。だから「パーツコネクトッ!」とか叫んでハンマー完成させたりしちゃったり。
「ゲッターロボ」
無茶振り設定の大御所(いい意味で)。ガオガイガーと並んでロボのイメージ元。エンペラー並みの話のでかさは無理だけど、ある程度のスケールは必要だな、と実感するね。
「ジョジョの奇妙な冒険」
口調、言葉の強調の仕方。あと、かならずヒーロー側がピンチになって逆転したり、スタンドらしい唐突な演出とかも手本になるね。ただ、これをイメージすると脳内キャラがジョジョキャラになるから困る・・・。
「岡本太郎」
芸術家になるが、この人の作品に欠ける情熱の半端のなさは「勇者王の勇気」レベルのものだろう。芸術が生であり、自分であり、全てであるお人・・・だと、解釈してるけど正しいかな・・・。この人の思考は著書も作品も難解なんだよな。
他には、キャラの戦う理由やら、物語の根幹に「勧善懲悪」を置いて書くことが気をつけているところかな。
運命、使命、誇り、勇気、熱血、勧善懲悪、正義の勝利、それが全ての根幹。
あ、エロパートに関しては、エロくしつつ一線は越えない、みたいな。恋人同士の設定だからキスはするけど最後までは行かない。けれど、少年のほうはロリータ服以下女装大好き女装キャラで中身まで女の子のショタキャラだし、少女のほうはサキュバスで実家がホステス(同姓の女性向けという奇抜設定になる危険が)の設定で完全攻め攻めエロキャラ。
うん、エロイ。実にエロイ。だが、それが「いい」んじゃあないか。
同じ経験した人は多いと思うんだけど、その頃私は二つの物を自作していた。
一つは自作のゲームで、もう一つはマンガだ。
前者はノートに設定やら、モンスターやらを考えた、いわば「ノート上のRPGゲーム」みたいなもの。友達に遊んでもらっていたのに、最終的にHPの書き換えがめんどくさくなってうやむやのうちに終了させたという、ひどい最後だったことを今でも覚えいている。
後者は当時発売されたばかり(だったと思う、少なくともそのくらいに発売されてはいた)初代ポケモンを題材にしたマンガだ。題材にしたといってもキャラがポケモンで、内容はドラクエという、なんとも錯綜したものだった。ただ、それでも友達に読んでもらったし、それなりに画力も上昇したと自覚できるくらいには描けるようになっていた。けれど、これもまた上のゲームと同じく途中でストーリーが納得できなくなり、打ち切りマンガ並みの無理やりな最後で終了させた。
(余談だが、この頃からピカチュウ好きでマンガの主人公はピカチュウの兄弟だった。ライバル的な敵がライチュウとカイリキーで、ミューツーもしっかり終盤に登場していた記憶がある。初代ポケモンだと、ピカチュウはライチュウに進化させ、10万ボルトとメガトンパンチが十八番だったっけなあ)
それから人間の絵を描くようになったが、基礎もできていない人間がまともな絵が描けるはずがない。いや、今見てみたら「それなりに上手くネ?」と思ったり、「この頃から中二病じみた模様とか、カオスな絵が好きだったんだな(今も変わってないけど)」と懐かしんだりできるレベルだったんだけど。
で、「人間を描くのは無理だな」と早々と諦めた昔の私は小説描きに切り替えることになる。本格的に描き始めたのが中学に入ってから。授業中に現実逃避の如く書き続けた。それでも塾で授業を受けていたのでそれなりの成績を残せていて(学校のテストを想定したものだから当たり前である。故に実力は大してない)受験したりした。
高校も、まあ、一応それなり(らしい)私立に入学し、しかしやっていることは変わりなかった。ひたすら小説を書いて書いて書いて書き続けていた。中学の頃はネットはないし、金は当時放映していたカードキャプターさくらの単行本に費やしまったくない(そもそも小遣いがないので昼食代を使っていた)ので、教材など買えるはずもない。高校になっても小遣いはないし、ネット初心者だったから調べる知恵もない。
だから書いた。
書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて。
好きなタイプのキャラを出すものの、ストーリーがなってないから、数ページ書けば頓挫する。それを何十回を続けながら、それでも書き続けた。
さすがにそれだけ書けば、一応それらしい話を長く書けるようにはなった。しかし、本当の「実感」を感じたのはまだ先のことだった。
壁を越えることができたのは高校二年か、三年の冬、いまさらながら自分が「大学受験する必要がある」と初めてしった時期の頃だ。
その壁の内容はなんと形容すればいいだろうか。超える、というより、「自覚する」というべきだろう。一種の解放感があった。
「世界観の根底が完成した」のだ。今まで書き続けていたストーリーに明確な「筋」「世界観」「『こう先続きを書こう』というストーリーの流れ」が見えた瞬間だった。ただ、その「見えた世界」は非常に狭く、数ページ分のものだ。そんなに短ければ当然、その話も没になってしまった。けれど、今思うと、ある種書き続けている小説の世界観の根底にあるような気もしないでもない。
さらに大学時代、強烈な影響を与えたのが平野耕太氏の「ヘルシング」だ。
エロ、グロ、殺戮、殺害、破壊、粉砕、凶暴、獰猛、殲滅、終結、中二病。
話の全てを論理構造で形成しようとしていた自分には、その全てを破壊し、洗い流す内容だった。「物語でそこまで設定を現実と同じにし、凝り固まる必要ないじゃない」てね。
それからまた時間が経ち、最近では「無茶な設定も自分で理屈付ければいいじゃない」と納得するようになった。
例えば、吸血鬼が血を操る能力は「吸血鬼の能力で、魔法」なのだが、それだけでは無敵になってしまう。パラーバランスが崩壊し、ドラゴンボール的なインフレの始まりだ。だから「昼は魔法が使えない」という制約を設定した。
そこに、エロ、ギャグ、好きな作品の要素を詰め込み、今書いている作品を完成させようとしている。他人から「お前バカだろ」と言われてもしかたないと自覚するくらい、話の設定が進んでもいる。
私の超えた「壁」がはたして小説家として書いていくに必要なものかわからない。
書いてきた分量が小説家になるのに足りるのかも分からない。
だいたい、今まで書いてきた内容全部、自分の趣味の延長上で、趣味を詰め込んだものだからね。人に読んでもらおうと意識するようになったけれど、じゃあ「どう描けば面白いのよ?」と今度はなるわけだ。ほんと数人だが読んでもらったことがあるが「面白い」という評価しかもらえなかったのが、なんとも・・・。逆に不安になる。今完成した分だけでも、サークルの人に読んでもらうかねえ。
ま、だからこそ、これが今の私が持つ「壁」なんだろう。
きっとこの「壁」を超え再び快感を得るときは、私が自分の作品を単行本化して売り出すときじゃないかな~。
などと悩みつつも(さらに就職もあるんだけど)けれど、私はこれからも書き続けるだろう。
それが私の生き方だ。
最後に今私の小説で教材にしている作品をあげておこう、別にあげる必要もないだろうけれど、まあ、これを機に同士ができれば嬉しいなと。
「スクラップドプリンセス」
論理的思考派、という謎の位置づけ。榊氏の作品はこれとまじしゃんず・あかでみぃを読んだが、すてプリのほうが圧倒的に好き。シリアスとギャグの極端さが好きだったからなあ。
「勇者王ガオガイガー」
勇者王!勇者王!
ドリル、ハンマー、ナイフ、叫び、コネクト、無骨なフォルム、あげだすときりがない燃え要素の山。ヘルアンドヘブンは作中にそれっぽいの使いたいけど、さすがにそれはまずそうだよなあ。だから「パーツコネクトッ!」とか叫んでハンマー完成させたりしちゃったり。
「ゲッターロボ」
無茶振り設定の大御所(いい意味で)。ガオガイガーと並んでロボのイメージ元。エンペラー並みの話のでかさは無理だけど、ある程度のスケールは必要だな、と実感するね。
「ジョジョの奇妙な冒険」
口調、言葉の強調の仕方。あと、かならずヒーロー側がピンチになって逆転したり、スタンドらしい唐突な演出とかも手本になるね。ただ、これをイメージすると脳内キャラがジョジョキャラになるから困る・・・。
「岡本太郎」
芸術家になるが、この人の作品に欠ける情熱の半端のなさは「勇者王の勇気」レベルのものだろう。芸術が生であり、自分であり、全てであるお人・・・だと、解釈してるけど正しいかな・・・。この人の思考は著書も作品も難解なんだよな。
他には、キャラの戦う理由やら、物語の根幹に「勧善懲悪」を置いて書くことが気をつけているところかな。
運命、使命、誇り、勇気、熱血、勧善懲悪、正義の勝利、それが全ての根幹。
あ、エロパートに関しては、エロくしつつ一線は越えない、みたいな。恋人同士の設定だからキスはするけど最後までは行かない。けれど、少年のほうはロリータ服以下女装大好き女装キャラで中身まで女の子のショタキャラだし、少女のほうはサキュバスで実家がホステス(同姓の女性向けという奇抜設定になる危険が)の設定で完全攻め攻めエロキャラ。
うん、エロイ。実にエロイ。だが、それが「いい」んじゃあないか。
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