裏SENTENラボ
ゲーム、マンガ、および、ニュース関のtwitterで流した情報をまとめて記事にしています。twitterが面倒な方は、こちらからどうぞ。 桜戯 @sakuragi_007
私的な小説論 「小説は連想ゲームである」
キャラや世界観の設定は、こういうのを書きたい、と思って考えるだけでなく、不意に思い浮かぶことがある。
今日のことだが、バイトに行く途中、電車の中で思いついたキャラ(名前がないので便宜上Aを呼ぶ)がいた。
歳は30~40程度。脳内イメージはジョジョの「吉良吉影」を思い描いてくれると嬉しい。
学歴は高く、仕事をバリバリこなし、歳相応の精神年齢を持った知的な男性だ。
当然、他人からの評価は高く、人望も厚い人物である。
愛妻家として有名だし、子供たちの面倒見もいい。
妻のために買ったペアのティーカップに紅茶を注ぎ、口に運びながら優雅な時間を過ごす余裕がある。
場面は紅茶を置いた小さなテーブルを真ん中に置き、Aと男を尊敬する一人の人物が向かい合い話し合っているところだ。
その会話の中でAに向けられる「愛妻家」という評価に、A自身が考えた思考があった。
(この場面の展開をAの一人称で考えていたので)
Aは別に「愛妻家」と、一般的な人々の認識に合致する人間ではなかった。
Aにとって重要なことは知識を得ることであり、得た知識を「守る」ことだ。
そのために大量の研究対象を必要とする。
学歴がいいのも、会社で働くのも、結婚したことも、子供を作ったことも、妻におそろいのティーカップを買ってきたことも、全てだ。
Aにとって妻は「研究対象」であり「愛する対象」ではないのだ。
ならばこの場合Aは愛妻家といえるのだろうか?
Aは考える。
研究対象を維持し研究するための行為が、他人の目からは愛妻家だと思われている。
これは「視点の違い」により生まれる変化だ。
誰もが気付き当たり前だと思っている常識だろうが、この流れを見て改めてこの事実に気付かされた。
上とは違う話だが、こっちのほうが小説論らしい話。
「小説は連想ゲームなのでは?」
小説の中では多様な比喩が使われている。
最近買った乙一氏の「The Book」の中で秀逸な比喩だと思ったのは、「ザ・ハンド」の空間を削る能力をバックスペースキーにたとえたことだ。
(長くなるので割愛するが是非読んでみてほしい)
他にも怒りがこみあがる様を膿にたとえたり、ザ・ハンドとクレイジーダイヤモンドの緻密な表現の違いも印象深かった。
書き手は自分の脳内にある世界を読者が「納得できる形」で文章化する必要がある。
情景を理解できない物語など読んでいてもつまらないからだ。
もちろん比喩を使わないで直接的に情景を文章化してもかまらない。
Aの話で書いた対談の様子などまさにそうだ。
二人の存在、テーブル、紅茶とティーカップ。
比喩を一つも使わず直接的に表現されている。
けれど、比喩はないが、実はここにタイトルの「連想ゲーム」が存在する。
Aという人物は理由はどうであり「愛妻家」と呼ばれるだけのことをしている人物だ。
ならば、それにふさわしい行動をしていることは必須条件になる。
「Aは愛妻家である」と設定を文面に出すことは簡単だ。
しかし、それでは印象に残らない。
火は熱い、水は冷たい、静電気はしびれる。
それは当たり前のことで、陳腐な表現だ。
愛妻家とだけ書くことと同じ、それ以上にはなりえない、ただの事実であり言葉だ。
具体的でも、抽象的でもいいから、何か付与することはできないだろうか。
火や水や静電気から何か連想できないだろうか?
火なら「破裂する栗のように激しく苛烈に」とか、水なら「青々と少女の瞳のように澄み切った」とか。
「愛妻家」と違って比喩が使われているが、一言付け加えるだけで、情景がより明瞭に、印象に残る形になったと思う。
「小説が連想ゲームなのでは?」と書いたのは、それこそが物語の中にある情景、事象をより深く掘り下げて描き出すための手法なのではないかと私は思ったからだ。
火や水や愛妻家から連想できることを付与する。
すると途端に物語りは色を増す。
連想した内容が面白ければ、読者の印象にも残り物語全体を良作へと押し上げるだろう。
ただし、先も言ったが読者が納得できることが大前提だ。
読者が納得できる、という意味でもそうだし、物語の世界にないものを引き合いに出すのもタブーである。
一人称で話を進めるならなおさらだ。
江戸時代の人物が戦車を口にしたり、中世ヨーロッパの人々がミサイルを引き合いに出したら、世界観にそぐわないちぐはぐな内容になる。
それでは読者が納得できない物語になるだろう。
今日のことだが、バイトに行く途中、電車の中で思いついたキャラ(名前がないので便宜上Aを呼ぶ)がいた。
歳は30~40程度。脳内イメージはジョジョの「吉良吉影」を思い描いてくれると嬉しい。
学歴は高く、仕事をバリバリこなし、歳相応の精神年齢を持った知的な男性だ。
当然、他人からの評価は高く、人望も厚い人物である。
愛妻家として有名だし、子供たちの面倒見もいい。
妻のために買ったペアのティーカップに紅茶を注ぎ、口に運びながら優雅な時間を過ごす余裕がある。
場面は紅茶を置いた小さなテーブルを真ん中に置き、Aと男を尊敬する一人の人物が向かい合い話し合っているところだ。
その会話の中でAに向けられる「愛妻家」という評価に、A自身が考えた思考があった。
(この場面の展開をAの一人称で考えていたので)
Aは別に「愛妻家」と、一般的な人々の認識に合致する人間ではなかった。
Aにとって重要なことは知識を得ることであり、得た知識を「守る」ことだ。
そのために大量の研究対象を必要とする。
学歴がいいのも、会社で働くのも、結婚したことも、子供を作ったことも、妻におそろいのティーカップを買ってきたことも、全てだ。
Aにとって妻は「研究対象」であり「愛する対象」ではないのだ。
ならばこの場合Aは愛妻家といえるのだろうか?
Aは考える。
研究対象を維持し研究するための行為が、他人の目からは愛妻家だと思われている。
これは「視点の違い」により生まれる変化だ。
誰もが気付き当たり前だと思っている常識だろうが、この流れを見て改めてこの事実に気付かされた。
上とは違う話だが、こっちのほうが小説論らしい話。
「小説は連想ゲームなのでは?」
小説の中では多様な比喩が使われている。
最近買った乙一氏の「The Book」の中で秀逸な比喩だと思ったのは、「ザ・ハンド」の空間を削る能力をバックスペースキーにたとえたことだ。
(長くなるので割愛するが是非読んでみてほしい)
他にも怒りがこみあがる様を膿にたとえたり、ザ・ハンドとクレイジーダイヤモンドの緻密な表現の違いも印象深かった。
書き手は自分の脳内にある世界を読者が「納得できる形」で文章化する必要がある。
情景を理解できない物語など読んでいてもつまらないからだ。
もちろん比喩を使わないで直接的に情景を文章化してもかまらない。
Aの話で書いた対談の様子などまさにそうだ。
二人の存在、テーブル、紅茶とティーカップ。
比喩を一つも使わず直接的に表現されている。
けれど、比喩はないが、実はここにタイトルの「連想ゲーム」が存在する。
Aという人物は理由はどうであり「愛妻家」と呼ばれるだけのことをしている人物だ。
ならば、それにふさわしい行動をしていることは必須条件になる。
「Aは愛妻家である」と設定を文面に出すことは簡単だ。
しかし、それでは印象に残らない。
火は熱い、水は冷たい、静電気はしびれる。
それは当たり前のことで、陳腐な表現だ。
愛妻家とだけ書くことと同じ、それ以上にはなりえない、ただの事実であり言葉だ。
具体的でも、抽象的でもいいから、何か付与することはできないだろうか。
火や水や静電気から何か連想できないだろうか?
火なら「破裂する栗のように激しく苛烈に」とか、水なら「青々と少女の瞳のように澄み切った」とか。
「愛妻家」と違って比喩が使われているが、一言付け加えるだけで、情景がより明瞭に、印象に残る形になったと思う。
「小説が連想ゲームなのでは?」と書いたのは、それこそが物語の中にある情景、事象をより深く掘り下げて描き出すための手法なのではないかと私は思ったからだ。
火や水や愛妻家から連想できることを付与する。
すると途端に物語りは色を増す。
連想した内容が面白ければ、読者の印象にも残り物語全体を良作へと押し上げるだろう。
ただし、先も言ったが読者が納得できることが大前提だ。
読者が納得できる、という意味でもそうだし、物語の世界にないものを引き合いに出すのもタブーである。
一人称で話を進めるならなおさらだ。
江戸時代の人物が戦車を口にしたり、中世ヨーロッパの人々がミサイルを引き合いに出したら、世界観にそぐわないちぐはぐな内容になる。
それでは読者が納得できない物語になるだろう。
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この記事へのコメント
vista・・
ニコニコDL不可能になりました。
まぁ設定が何か有るとは思うのだが・・
まだよく読んでないorz
でもGF8600GTイイネーかなり綺麗だよ♪
ROのGvもエフェ切らなくて問題無かったし・・
それと問題が・・・
Vistaのメモーリー使用量グラボの影響も有るとは思うが870M・・残りメモリー1Gだったw
まぁなんだ無駄に使用量多いのはセキュリティがかなりがんじがらめの為だろうと思うのだがね・・
何をするのにも権限がどーのこーのって出るしね><
さてこのへんでニゲヨまたにー^^ノシ
>>vista・・
の、一言で完結してしまいそうな展開だな。
ROはGvで問題無しは、PCがだいじょうぶなら平気なんだ。
問題はそれでも重くてやる気が出ないことなんだ。
なんだよ、バーサク意味ないじゃん、かないから。
vistaは高いし、それらしい仕様使うにはスペックいるから買ってない。
いろいろプログラム使えたり、使えない問題あるし。
( ・ω・)ノシ